皆さんこんにちは。
タイトルホルダー(競走馬)ファンのもとけんです。
2023年12月、有馬記念終了後に中山競馬場でタイトルホルダーの引退式が執り行われました。
これまでにずっと応援してきた競走馬が引退してしまうのはとても寂しいです。
これから誰を応援して競馬を楽しめばいいんだ…じっくり考えますけどね…
奇妙な名前でありながら、名前負けしていないこの偉大な競走馬を、視聴したレースごとに自身の主観とともに回顧していきたいと思います。
よろしくお願いします。
21年報知弥生ディープインパクト記念~
全てはここから始まりました。
私が最初にタイトルホルダーを知った、もとい競馬の重賞を初めて観たのがこのレース。ウマ娘で競馬を知り、こういうのがあるんだなあ。じゃあ実際の競馬はどういうのだろうと興味を持ったのがこのあたりでした。1番人気に押されていたのはダノンザキッド。何も知らない私は1番人気が勝つんだろうなあと思っていました。
実際見てみると、タイトルホルダーはダノンザキッドを寄せ付けず、逃げて1着。
人間界において「逃げる」ことは、戦略的な撤退が含まれているものもあるが、基本的に恥であったり臆病者のすることであったり、情けないというような常にマイナスのイメージを含む言葉で使われることが常となっています。
しかしタイトルホルダーは、「逃げ」を「自分の持ち味」として使ったのです。
競走馬では一つの武器として、他の誰も寄せ付けない、スムーズな走り。逃げという私の中でマイナスなワードをタイトルホルダーがプラスに変えてくれたんです。
完全に魅せられました、魅せつけられました。この日からG2を制覇、名実共にタイトルホルダーとなった時には彼の魅力にときめいて、すっかりはまってしまいました。
続いて皐月賞。この頃はまだレース映像に見向きもせず、ただ少額を賭けるだけでした。本命はもちろんタイトルホルダー。エフフォーリアとタイトルホルダーのワイドが的中したのを今でも覚えています。
続いて日本ダービー。まだレースよりもプライベートに重きを置いていた時代、ラジオで聴いておりました。この時も本命はタイトルホルダーでしたが、たくさん賭けるほどのめりこんではいません。
タイトルホルダーはこの時6着。とある情報筋からこの時の体調がよくなかったとの話を聞いております。
大敗したセントライト記念を経てクラシック路線最終戦、菊花賞。
4番人気で迎えたこの日、この時私は小林愛香さんのライブ当日だったのでラジオで聴いておりました。序盤から先頭を駆けるタイトルホルダー。途中追いつかれそうになりながらも最後の直線で突き抜けて5馬身差の圧勝。
実況の「タイトルホルダー一人旅!」
その言葉を聴いて涙がこぼれました。ラジオ聴いて泣いたのはこれが初めてでした。
この時はセントライト記念もあり、的中は応援の単勝のみではありましたが、推し馬がG1を獲れた喜び、他馬を寄せ付けない走り…… レース映像は後日観ましたが、逃げて勝つことを再び世に見せてくれたタイトルホルダーにこの頃から感謝と謝罪をしておりました。
当時は父ドゥラメンテが怪我で取れなかった残りの1冠を息子が獲ったこと、横山武史騎手の乗り方が父横山典弘騎手がセイウンスカイで勝った菊花賞と同じ乗り方をしていたことなど、父と子の話題に事欠きませんでしたね。
21年有馬記念、4番人気でありながらも8枠16番という大外(死の枠)に放り込まれたタイトルホルダー。古馬相手にも逃げて善戦はしましたが5着となりました。最盛期のエフフォーリア、長距離特化のディープボンド、宝塚記念を制した豪脚のクロノジェネシスと相手が悪かったですね。
横山和生騎手に乗り替わったのもここからでした。
22年日経賞~
年明け数ヶ月を空けて、3月のG2日経賞から始動。
タイトルホルダーは1番人気に応えてクビ差の1着。このレースは和生騎手を試す試金石の意味合いもあったのではないかと個人的に思っています。ここで勝てたからこそ和生騎手が天皇賞春も騎乗したんですよね。
そしてG1天皇賞春
初めてWINSに行って応援したのが天皇賞春でした。
スタートからシルヴァーソニックが落馬競争中止になるアクシデントはあったものの、最後までから馬シルヴァーソニックをも寄せ付けず逃げ続けて1着。菊花賞の再現となりました。
まあ半分ぐらいは好位につけてたシルヴァーソニックが他馬を寄せ付けないというのもありましたが、誰も追い抜かせない走りは最強ステイヤーの証明でもありました。
ちなみにこの時の馬券はシルヴァーソニックが3連複に入っていたので外しました。
当たったのは応援の単複のみです。
続いてG1宝塚記念
この日はAqoursの6thライブ東京ドーム公演と被っていたのでよく覚えています。
天皇賞春に続いて2番人気。天皇賞春で阪神の長距離走れてるやつが中距離走れないわけないので当然本命。
単複が見事的中し、Aqoursのライブ前の士気を上げてくれました。
阪神G1で3勝し、2200mのレコードホルダーにもなった彼は総大将と呼ばれるほどになり、天皇賞秋で春秋制覇かと思ったらさらに上、世界(凱旋門賞)へと挑戦する陣営に期待が膨らみました。
秋の凱旋門賞。不幸にも雨によりロンシャン競馬場の芝の手入れがなされず、芝が伸びた状態+重馬場という日本勢には最悪の条件での出走となりました。
結果は11着。無理もないとはいえ芝の手入れの体制が日本とフランスでここまで違うんだと驚いたところでもありました。良馬場だったら…とは今でも思います。観てたけど明らかに走りづらそうでしたもんね。
日本に戻ってからはそのまま有馬記念直行。馬場的に外差し有利が響いたか結果は9着。最強馬イクイノックスに敗れ、共にクラシックを戦ったエフフォーリアにも着順で負けてしまい、夏の活躍が嘘のような結果となりました。
2022年最優秀4歳以上牡馬にはなりましたが、イクイノックスとの直接対決に敗れたのもあって、年度代表馬になることは叶いませんでした。
やっぱり悔しかったよね。右回りで急坂のあるコースでG1を3回も勝ってきたのに、他の逃げ馬と違って4コーナーからの直線でさらに加速ができるすごく優れた馬なのに、有馬記念でも好走してくれると、そう思ってた。けれども使われて内側の芝が薄い中山で、脚を溜められる外差し有利になるのは私じゃどうしようもできない事例なので、厳しいんかなあとそういう結論を付けざるを得なかった。
(競馬始めて1年半ぐらいの当時は寒いの苦手なんかな?とか思ってたけどそれは内緒で…)
23年日経賞~
この年も始動は日経賞。22年の菊花賞を勝利したアスクビクターモアが1番人気に押されての2番人気。有馬記念9着が響いて(随分と舐められたもんだが)の人気順ですがオッズが少しでも美味しくなるならそれでよし!でもまあこの時は本当にお金がなかったので俺プロ*1で単勝一点のみだったんですがね。
レース結果は後続に8馬身離しての圧勝。G1馬の格の違いを見せつけました。
そして向かうは2度目の天皇賞春…
G1天皇賞春。この年から改修工事が終わった京都での開催となり、連覇のかかったタイトルホルダーは1番人気。誰もが圧倒的な逃げを見せてくれる、そう思ってました。
しかし実際に序盤でハナを取ったのはなんとアフリカンゴールド。大外の不利を取り除いたのも束の間、ホームストレッチ後に心房細動により競争中止。いきなり波乱の幕開けです。
逃げ馬が一頭力尽きて場内がざわついていると、先頭を走っていたタイトルホルダーはなんと坂の上りで急に減速。馬群から離れて競走中止となってしまいました。2頭も競走中止になるなんて京都には魔物が潜んでいるのか…?
この時にタイトルホルダーはJRA発表で「右前肢跛行*2」という状態になっており、和夫騎手が異変を察知して降りてくれたのが不幸中の幸いだったと思います。あのまま走っていたらまず無事では済まなかったでしょうからね。(ヨレヨレになりながらも入線したトーセンカンビーナはその後予後不良に…)その後異常は見られなかったので日を置いて復帰となりましたが、流石に不安な気持ちを隠せなかったです。
競走中止2頭予後不良1頭という地獄めいたG1を目の当たりにしてしまい、リニューアルされた京都競馬場に観客側の私も複雑な気分でした。3連複的中したので尚更複雑でした。
右前肢跛行もあったので6月の宝塚記念には出られず、しばらくの間休養・放牧を挟んで9月のオールカマーで復帰。
得意の中山で1番人気に押されるも、結果は2着。休み明けでの叩きの1戦だったので本命にしてなかったのを今でも悔やんでおります。
そして11月、ジャパンカップ、世界最強のイクイノックスとの再戦。
1か月以上間隔の空いた今なら、天皇賞秋が終わって中3週で疲れの残っているイクイノックスに2400mで勝てる。応援しかできない私もそう思っていたんですがやはり強すぎました。4コーナーから直線での加速はもう誰にも止められませんでした。強すぎる。イクイノックスは東京どころか日本中、そして世界中で敵なしになってしまった。引退後にロンジンのレーティングで日本歴代最高レーティングである135を叩き出した彼の強さは世界で認められたのだ。これはこれで素晴らしい。タイトルホルダーも124でトップ10に入っている。それもそれで良き。
しかし壁は厚かった。ジャパンカップは健闘むなしく5着。オーナーさんも陣営も潮時を感じてしまったのかもしれない。日本の総大将として凱旋門賞に挑んだ時から役1年、タイトルホルダーは有馬記念をラストランにするとの判断が下されました。
そして12月、有馬記念。中山芝2500m。
過去2回挑んだものの2回とも馬券内には来れず。だがタイトルホルダーにはタフな急坂のあるコースが適している。そして今年の馬場傾向は使われた4週目でも前残りの傾向にある。
私は迷わず本命にしました。
人でごった返しているウインズで私は、馬群の固まりから抜けてリードしているタイトルホルダーに想いを乗せて、皆が思い思いに言葉を発する中、
「頑張れ!逃げ切れ!」
そう叫んでいました。
モニター前で応援することしかできない、応援の声も本人・騎手には届かない位置にいる小さな存在の私が、逃げ続けて魅せてくれたタイトルホルダーにこんなにも心を動かされて、またG1を獲るところが観たい、そう思わせてくれる素晴らしい走りに感銘を受けてました。
「行ける!行ける!あとちょっと!!」
しかし残り僅かでドウデュース、スターズオンアースの2頭に差し切られ、道中最後方にいたジャスティンパレスにも危うく差し切られそうなところでなんとか3着。応援馬券はタイトルホルダーの複勝の払戻し金のみ帰ってきました。
馬連も3連複も逃し、タイトルホルダーのG14勝目を観ることは叶いませんでしたが、レジェンド騎手の復帰と、最後に推しを信じることができた自分は、心なしかスッキリした気分でウインズを後にして帰りました。
そして引退式。現地に行けない私は家で配信を観ていました。
引退式には主戦騎手1人が代表して登壇する場合がほとんどですが、横山和生騎手、そして横山武史騎手の兄弟で登壇してくれたのはとても嬉しかったです。2人のお陰でタイトルホルダーはG1馬になれましたので。
最後の挨拶でオーナーの山田さんが仰っていた(ほぼ抜粋)
「この馬(タイトルホルダー)には、今は亡きドゥラメンテの血を繋いでいくという、もう一つの、大切な役目が待っております。3年数か月先には、子供たちがターフを走ります。きっと、和生ジョッキーも、武史ジョッキーも、子供たちに乗ってくれると思います。そして、栗田徹厩舎に入る馬もいるはずです。どうぞ子供たちにも、タイトルホルダーと変わらぬ応援を、お願い致します。
そして、いつまでも、いつまでも、この馬の名前、忘れないでください。
その名は タイトルホルダー
長い間応援ありがとうございました。」
忘れるもんか。
私が監獄のような生活を送ってた中での希望の光の一筋やぞ。
私が競馬の楽しさを知ったのがタイトルホルダーの走りやぞ。
私にとっても人生に大きな影響与えてくれた存在を私は絶対に忘れない。
書いてる今でもこの挨拶を観るたびに涙が出てきますよ。
本当に、ほんっっとうに今までありがとう。
オーナー様、生産者・厩舎のスタッフ・関係者の皆様、そして和生騎手・武史騎手、ありがとうございました。
新たな道へ行くタイトルホルダーに最大の敬意を払ってここで締めたいと思います。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
そして、誕生日おめでとう。